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プロフィール

登録日: 2025年2月18日

記事 (33)

2026年9月3日 ∙ 14 分
僕がカウンターに立ち続ける理由
カウンター越しに、視線を感じることがあります。 顔を上げると、何度も来てくださっているお客様が、僕の手元をじっと見ている。 料理について何か聞くわけでもない。ただ、食材に火が入り、いくつものパーツが一皿に集まり、最後にソースを流すところまで、その過程を興味深そうに追っている。 そんな姿を見ると、きっとこの時間も楽しんでもらえているのだろうと思います。 料理は、完成した一皿だけを味わうものではない。 食材が変化していく音や香り、料理人の手の動き、そして一皿が生まれるまでの時間。そのすべてを目の前で感じられることが、カウンターという席の面白さなのだと思います。 けれど、僕が最初に作ったレストランは、今とはまったく違う場所でした。 お客様が眺めていたのは、料理人の手元ではありません。 観音山から見下ろす、街の景色でした。 現在のエキリーブレ(カウンター席主体) 景色を眺めるレストラン 僕はフランスで働き、三つ星レストランのメゾン・ピックで研修した後、25歳から約13年間、都内のレストランや結婚式場などで働きました。 地元の群馬へ戻ってきたのは、38歳の頃です。...

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2026年8月16日 ∙ 6 分
料理は、誰のためにあるのか。25年間で深まった「食べ手優先主義」
前回は、20年ほど作り続けてきたトウモロコシの冷製ポタージュが、捨てていた芯とヒゲを使うことで、少しずつ今の形へ変わっていった話を書きました。 鶏のブイヨンで旨味を補うのではなく、トウモロコシ自身が持っている甘みや香りを引き出す。その変化は、単にレシピを変えたというだけではありません。 振り返ってみると、そこには僕が料理人として長い間考え続けてきた、もう一つの問いがあります。 料理は、誰のためにあるのか。 料理人にとって、料理は自己表現でもあります。自分が美しいと思う構成、自分が使いたい技術、自分が届けたい味。そのすべてを否定するつもりはありません。 けれど、料理は料理人の思いだけで完結するものなのでしょうか。 〜〜食べる人のいない料理はない〜〜 若い頃は特に、自分が学んできたことや、自分にしか作れないものを、一皿の中で表現したいという気持ちが強くありました。 けれど、料理は作品として皿の上に置いた時点で完結するものではありません。その先には、必ずそれを食べる人がいます。 どれほど考え抜き、技術を注ぎ込んだ料理であっても、食べる人の心に響かなければ、その料理はまだ完成していない。...

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2026年8月16日 ∙ 5 分
捨てていた芯から始まった。20年作り続けたトウモロコシの冷製ポタージュ
夏になると、毎年この一杯を楽しみに来てくださるお客様がいます。 Restaurant EQUILIBREでお出ししている、トウモロコシの冷製ポタージュ。僕自身、この料理を作り始めてから、もう20年ほどになります。 同じ名前の料理を長く作り続けていても、その中身までずっと同じだったわけではありません。使うトウモロコシも、その年の気候も、自分の感覚も少しずつ変わっていく。今の作り方にたどり着いたのは、ほんの小さな違和感がきっかけでした。 〜 〜 15本分の芯とヒゲを捨てながら〜 〜 以前は、トウモロコシと玉ねぎを炒め、鶏のブイヨンで炊く、フランス料理の基本に沿った作り方をしていました。 もちろん、それで十分においしいポタージュはできます。僕も長い間、その方法で作り続けてきました。 ただ、仕込みのたびに心のどこかに引っかかっていたことがありました。 一度に使うトウモロコシは、およそ15本。実を外した後には、15本分の芯と、大量のヒゲが残ります。 それまでは当然のように捨てていましたが、その量を目の前にするたびに、どこか後ろめたさが残っていました。...

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