捨てていた芯から始まった。20年作り続けたトウモロコシの冷製ポタージュ
- restaurantequilibr
- 24 時間前
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夏になると、毎年この一杯を楽しみに来てくださるお客様がいます。
Restaurant EQUILIBREでお出ししている、トウモロコシの冷製ポタージュ。僕自身、この料理を作り始めてから、もう20年ほどになります。
同じ名前の料理を長く作り続けていても、その中身までずっと同じだったわけではありません。使うトウモロコシも、その年の気候も、自分の感覚も少しずつ変わっていく。今の作り方にたどり着いたのは、ほんの小さな違和感がきっかけでした。
〜 〜 15本分の芯とヒゲを捨てながら〜 〜
以前は、トウモロコシと玉ねぎを炒め、鶏のブイヨンで炊く、フランス料理の基本に沿った作り方をしていました。
もちろん、それで十分においしいポタージュはできます。僕も長い間、その方法で作り続けてきました。
ただ、仕込みのたびに心のどこかに引っかかっていたことがありました。
一度に使うトウモロコシは、およそ15本。実を外した後には、15本分の芯と、大量のヒゲが残ります。
それまでは当然のように捨てていましたが、その量を目の前にするたびに、どこか後ろめたさが残っていました。
まだ使えるものを、捨ててしまっているのではないか。一本のトウモロコシを、料理人として本当に活かし切れているのだろうか。
そして、食材そのものと十分に向き合わないまま、鶏のブイヨンの旨味で味をごまかしているだけなのではないか。
仕込みのたびに漠然と感じていたそんな思いが、あるときふと、自分の中ではっきりとした疑問として浮かび上がってきました。
〜 〜 試しに、芯を水に入れてみた〜 〜
あるとき、試しにトウモロコシの芯を水に入れ、そのまま火にかけてみました。
何か明確な答えがあったわけではありません。ただ、煮出してみたらどんな味になるのだろう。まずは、自分の中に浮かんだ疑問を確かめてみようと思ったのです。
ところが、実際に味を見てみると、芯からは想像していた以上の甘みが出ていました。
ただ、ポタージュの土台として考えると、芯だけでは香りが少し足りません。甘みはあるけれど、もう少しトウモロコシらしい香りの奥行きが欲しい。
そこで次に目を向けたのが、それまで芯と一緒に捨てていたヒゲでした。
ヒゲは、そのまま煮るのではなく、オーブンで香ばしく焼いてから芯と一緒に鍋へ入れました。すると、芯から出る素直な甘みに、焼いたヒゲの香ばしさが重なり、ようやく求めていたバランスの出汁になりました。
最初から完成形が見えていたのではありません。芯を煮出してみたら甘みが出た。でも、香りが足りない。では、ヒゲを使ってみたらどうだろう。一つ試して、味を見て、足りないものを感じ、次を考える。その積み重ねで、今の作り方にたどり着きました。
〜 〜 鶏のブイヨンを使わないという選択〜 〜
現在は、まずトウモロコシを蒸し、蒸し上がった実を芯から外します。
芯は焼かずに、そのまま水へ入れる。ヒゲだけをオーブンで香ばしく焼き、芯と一緒に鍋で煮出す。そうして取った出汁で、外しておいたトウモロコシの実を炊いています。
以前のように、鶏のブイヨンは使いません。
これは、フランス料理の基本的な作り方を否定したいからではありません。鶏のブイヨンで旨味を補い、料理としての厚みを作ることも、一つの正しい方法です。僕自身、長い間そうしてきました。
けれど、芯とヒゲから出汁を取るようになってから、トウモロコシのポタージュには、トウモロコシ自身の中にあるものだけで十分な味わいを作れると感じるようになりました。
外から旨味を足して味を作り込むのではなく、素材の中にすでにある甘みや香りを引き出し、磨いていく。鶏のブイヨンを使わないことで味が弱くなるのではなく、トウモロコシそのものの輪郭が、以前よりもはっきりと感じられるようになりました。
始まりは、食材を活かし切れていないのではないかという、料理人としての後ろめたさでした。でも、今もこの作り方を続けているのは、芯とヒゲまで使えるからだけではありません。料理として、自分が求める味に近づいたからです。
〜 〜「おいしい」の後で、初めて話す〜 〜
このポタージュをお出しするとき、最初から芯やヒゲの話はしません。
まずお伝えするのは、その日のトウモロコシの品種と、「トウモロコシの冷製ポタージュです」という料理名だけです。
そして、お客様が一口召し上がり、「甘い」「おいしい」と反応してくださったときに、初めて作り方の背景をお話しします。
芯から出汁を取っていること。ヒゲを香ばしく焼いて加えていること。そして、鶏のブイヨンを使わず、一本のトウモロコシから引き出した味で仕上げていること。
説明を先に聞けば、「芯とヒゲまで使った特別な料理」として味わうことはできます。
でも、それでは知識や物語が、料理を感じる前に答えを作ってしまうかもしれません。
僕がまず確かめたいのは、背景を何も知らなくても、その料理をおいしいと感じてもらえるかどうかです。
先に舌で感じてもらい、その後に理由を知ってもらう。説明が料理のおいしさを作るのではなく、最初に料理そのものが届いて、その体験を深めるものとして言葉がある。僕は、その順番を大切にしています。
〜 〜20年作り続けても、料理は完成しない〜 〜
20年作り続けてきた料理であっても、これで完成だと思ったことはありません。
毎年作ってきたからこそ、小さな違和感に気づくことがある。長く続けてきた方法であっても、目の前の素材を見直すことで、まだ変えられることがある。
捨てていた芯を水に入れてみた、ただそれだけのことから、このポタージュは少しずつ今の形へ変わっていきました。
旨味を重ねて料理を作るのではなく、素材の中にすでにあるものを引き出す。
振り返ってみれば、このポタージュの変化は、レシピだけの変化ではありません。僕自身が、料理の中心に何を置くのかを考え続けてきた、その時間の表れでもあるのだと思います。
次回は、この一杯にもつながっている、僕の料理の根底にある「食べる人ありき」という考えについて書きたいと思います。




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