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僕がカウンターに立ち続ける理由

カウンター越しに、視線を感じることがあります。

顔を上げると、何度も来てくださっているお客様が、僕の手元をじっと見ている。

料理について何か聞くわけでもない。ただ、食材に火が入り、いくつものパーツが一皿に集まり、最後にソースを流すところまで、その過程を興味深そうに追っている。

そんな姿を見ると、きっとこの時間も楽しんでもらえているのだろうと思います。

料理は、完成した一皿だけを味わうものではない。

食材が変化していく音や香り、料理人の手の動き、そして一皿が生まれるまでの時間。そのすべてを目の前で感じられることが、カウンターという席の面白さなのだと思います。

けれど、僕が最初に作ったレストランは、今とはまったく違う場所でした。

お客様が眺めていたのは、料理人の手元ではありません。

観音山から見下ろす、街の景色でした。


現在のエキリーブレ(カウンター席主体)
現在のエキリーブレ(カウンター席主体)

景色を眺めるレストラン

僕はフランスで働き、三つ星レストランのメゾン・ピックで研修した後、25歳から約13年間、都内のレストランや結婚式場などで働きました。

地元の群馬へ戻ってきたのは、38歳の頃です。

最初に店を構えたのは、高崎駅から車で10分ほどの観音山にあった、元ドライブインの大きな建物でした。

客席の窓からは街を一望できる。料理人の姿を見る店ではなく、景色を眺めながら料理を食べるレストランです。

建物の半分だけを改装して店を始め、残りは手をつけずに残しました。最初からすべてを完成させるのではなく、5年ほどかけて少しずつ広げていこうと考えていたからです。

大きなレストランですから、料理人は厨房で料理を作り、サービスマンがお客様を迎える。調理と接客を、それぞれの専門家が担う形でした。

この分業は、とても理にかなっています。

料理人は料理に集中でき、サービスマンはお客様に集中できる。それぞれが自分の専門性を生かせる環境には、今でも憧れる部分があります。

ただ、地方で自分の店を始めてみると、想像していなかった問題が少しずつ見えてきました。

過去のエキリーブレ(高台からの景色を望む展望レストラン)
過去のエキリーブレ(高台からの景色を望む展望レストラン)

「何のために独立したんだろう」

高崎では、観音山へ向かうことを「川向こうへ行く」と捉える人がいます。

高崎駅から車で10分ほどしか離れていなくても、川を渡って山へ向かうことに、心理的な距離があったのだと思います。

広告を出しても、思うようにお客様は増えない。

大きな店を維持するには人が必要ですが、スタッフを集め、育て、店の考えを共有していくことも簡単ではありませんでした。

気がつくと、僕の意識は料理よりも、人の配置や教育、店を回すことへ向くようになっていました。

自分の料理を作りたくて独立したはずなのに、料理とは別のことに多くの時間を使っている。

「何のために独立したんだろう」

そんな疑問が、少しずつ大きくなっていきました。

開業から2年ほどたった頃、僕は3年間の賃貸契約を更新しないと決めました。

次はもっと小さな店で、自分一人でもできる形にしよう。

そう考えて移転したのが、現在の店です。

カウンターにしたのは、ワンオペで料理と接客の両方を行うためでもありました。

けれど、実際にカウンターに立ってみると、それは単に店を小さくして効率を上げるための選択ではありませんでした。

観音山では見えなかったものが、ここでは見えるようになったのです。



厨房の壁をなくしてみた

カウンターの内側では、料理を作るすべての工程がお客様から見えます。

ただ、見られているから特別なことをするわけではありません。

僕が若い頃に教えられたのは、お客様から見える場所であっても、閉ざされた厨房の中であっても、きれいな仕事をするということでした。

熱い料理は、熱いうちに出す。冷たい料理は、冷たい状態で届ける。

一皿の中に五つ、六つのパーツがあるなら、それぞれの仕上がりを逆算し、同じ瞬間に一番良い状態へ持っていく。先に盛ったものを冷まさないよう、無駄なく、スピーディーに、それでいて美しく盛りつける。

見られているかどうかで、やるべき仕事は変わりません。

料理をおいしくするために必要なことを突き詰めていけば、動きから無駄がなくなり、その過程が結果としてプロの仕事に見えるのだと思います。

僕がカウンターで見せたいのは、映えるために作ったショーではありません。金粉を撒いたり、大げさな演出を加えたりして、お客様の視線を集めたいわけでもない。

食材を最も良い状態で一皿にするための仕事が、そのまま目の前にある。

包丁の音が聞こえ、料理の香りが届き、火が入り、最後にソースが流れる。

完成した一皿が突然運ばれてくるのではなく、その一皿が生まれるまでの時間も一緒に味わえる。それがカウンターのライブ感です。

同時に、僕からもお客様が見えます。

食べる速度、料理を口にした瞬間の表情、ワインの進み方。その場の空気まで、カウンターの中に伝わってきます。

ワインを飲まない方は、食事のペースが早くなる。ワインを何杯も楽しむ方は、自然とゆったりした時間になる。

ワンオペですから、すべてのお客様の料理を完全に別々のタイミングで仕上げれば、かえって料理の質を落としてしまうことがあります。魚料理や肉料理は、まとめて仕上げた方が一番良い状態で出せることも多い。

基本は料理の質を優先しながら、明らかに早い方や遅い方がいれば、その方に合わせて別に作る。

カウンターだからすべてを自由に変えられるわけではありません。それでも、目の前のお客様を見ながら、その日の最善を判断できます。

観音山の頃には、「料理が出てくるまで少し待った」という声をいただくことが何度かありました。

今のカウンターに移ってからは、料理が遅いと言われた記憶がありません。

実際の提供時間が、劇的に短くなったわけではないと思います。

少し時間がかかりそうなら、僕から「すみません、次のお料理を作っているので、もう少し待ってくださいね」と声をかけられる。お客様にも、目の前で次の料理が進んでいることが見える。

ただ待たされる時間が、料理が生まれている時間へ変わる。

これも、カウンターで初めて見えたことでした。



「これは、どのスプーンですか」

9年間カウンターに立ってきて、強く感じることがあります。

あくまで僕の感覚ですが、接待や顔合わせなどの明確な目的がないのに「個室の方が上の席」と考える方の多くは、あまり食べ慣れていないように感じます。

反対に、食べ慣れている方ほど、カウンターを選ぶ。

ここでいう「食べ慣れている」とは、料理やワインの知識が豊富だという意味ではありません。

「これは、どのスプーンで食べればいいですか」

「今日はワインを飲みたいのですが、よく分からないので選んでもらえますか」

そんな素朴な疑問を、躊躇なく聞ける人です。

分からないことを分からないと言い、お店の専門性を信頼して任せられる。あるいは、知っているからこそ、あえて聞いてみたいと思える。

僕自身、料理人としてこの世界に25年います。料理もワインも、一般の方よりは知識があります。

それでも、他のレストランへ行ったときにワインを自分で選ぶことは、ほとんどありません。

「白なら少しフルーティーなものが好きです」

「赤は重すぎない方がいいです」

好みや予算は伝えますが、その先はソムリエに任せます。

その店が、どのようなワインを料理に合わせてくるのかを知りたいからです。

「ああ、こう来たか」

「この人は、こういう感性なんだな」

そこで波長が合うこともあれば、自分とは少し方向が違うと感じることもある。それも含めて、レストランの楽しさだと思っています。

料理も同じです。

例えば、僕の作る赤ワインソースは、約3日かけて取ったフォン・ド・ヴォーをベースにしています。赤ワイン、ポルト、マデラを八分の一から十分の一ほどまで煮詰め、フランス料理で「ミロワール」と呼ぶ状態へ持っていき、そこにフォン・ド・ヴォーを加えて、さらに煮詰めます。

それだけの時間をかけたソースが、「このバルサミコソース、おいしいね」の一言で終わってしまうこともあります。

もちろん、赤ワインソースとバルサミコソースの違いを知らないこと自体は、何も問題ではありません。

僕がもったいないと思うのは、分からないまま、自分の知識の中だけで「きっとこういうソースだ」と決めつけ、そこで話が終わってしまうことです。

「これは、どんなソースですか」

そう聞いてもらえたら、使っている材料や、そこにかけている時間を伝えられる。その会話をきっかけに、一皿をもう少し深く味わってもらうこともできます。

分からないことを、自分の知識だけで決めつける必要はありません。

僕は、分からないことを「これって、どうなんですか」と素直に聞ける人の方が、ずっとかっこいいと思います。

一緒に来た人も、その会話から新しいことを知ることができる。料理人とのやり取りが増えれば、食事の時間そのものも深まっていく。

だから、初めてカウンターへ来る方に伝えたいことは、とても単純です。

「全然詳しくなくていいですよ。緊張なんかしなくていいですし、気になることはどんどん聞いてください。全部お伝えします」

カウンターは、知識のある人だけが座る席ではありません。

料理に興味を持ち、分からないことを聞きながら、その時間を一緒に楽しむための席です。



遅い時間に開くボトル

以前、仕事関係の接待でよく利用してくださるお客様がいました。

接待なら個室を選ぶ方が多いのですが、その方は最初から、いつもカウンターでした。毎回のように違う方を連れてきて、料理を作るところを一緒に見ながら食事をする。

料理について素朴な疑問を聞き、ワインも「どんなものが合いますか」と任せてくれる方でした。

やり取りを重ねるうちに、仕事だけでなく、かなりプライベートな話までするようになりました。

今では店が落ち着く時間に来て、「シェフのカレーが食べたい」「パスタが食べたい」と言ってくれる。

他のお客様がいるときには出しませんが、「この日のこの時間なら、ほかのお客様も帰っているから」と約束し、カレーやパスタを作りながら一緒にお酒を飲むこともあります。

結婚記念日に来てくださるご夫婦の中にも、いつも遅い時間を選ぶ方がいます。

理由は、「シェフと飲みたいから」。

料理を出し終えた後、そこから一緒に何本かボトルを開ける。

料理人とお客様という関係から始まり、いつの間にか、人と人との付き合いになっていました。

こうした関係は、お客様と直接向き合えるカウンターだったからこそ生まれたのだと思います。

もっとも、カウンターの良さは、料理人とずっと会話を続けることだけではありません。

今の店はコの字型のカウンターなので、二人で来ても真正面から向き合うのではなく、横に並んで座ります。個室で向かい合って座るよりも、相手の顔だけを見続けずに済むため、かえって緊張せずに話せることもあります。

会話が途切れたときには、目の前で料理を作っている光景へ自然に視線を移せる。その光景が、次の会話のきっかけになることもあります。

目の前の厨房が、視線や会話、そして無言の時間の「逃げ道」になってくれるのです。

もちろん、機密性の高い話をする接待や、ご両親との顔合わせなど、料理よりもその会自体が中心になる場合には、個室をおすすめします。

大きく分ければ、周囲に聞かれたくない会話があるときは個室。そうでなければ、僕はカウンターが一番いいと思っています。

カウンターでは、同じ時間を過ごすほかのお客様の存在も、その日の店の空気をつくります。

バースデープレートを出したとき、別のお客様から拍手や「おめでとう」という声が起こることがある。楽しそうにワインを飲んでいる人を見て、飲む予定のなかった方が「自分も頼んでみようかな」と注文することもあります。

一方で、一組が暗く、楽しそうでなければ、その空気がお店全体に広がることもある。

良くも悪くも、同じカウンターを囲む人たちの気分が伝わり合う。それも、閉じられた個室にはないカウンターの一面です。



見えてしまうもの

お客様の反応が見えるということは、良い反応だけでなく、その反対もすぐに伝わってくるということです。

料理を出しても、ほとんど表情が変わらない。

説明をしても、あまり耳に入っていないように見える。

料理やこの店に興味を持っているのかどうかが、こちらにはまったく伝わってこないことがあります。

カウンターでは、そうした反応の薄さまで、目の前に見えてしまいます。

頭では分かっています。

数ある店の中から、決して安くはないこの店を選び、予約をして来てくださった。だから少しでも満足して帰ってもらいたい。また来たいと思ってもらいたい。

けれど、心はいつも同じようには動きません。

「何で来たんだろう」

「興味がないのなら、うちでなくてもいいんじゃないか」

コース料理ですから、一時間半から二時間以上、同じ空間で過ごします。

その時間が終わった後に、「もうこういうお客様には来てほしくないな」という気持ちが残ることもあります。

これは、今も僕の中で答えが出ていない問題です。

料理への関心が感じられなければ、僕の説明は少しずつ短くなります。こちらから無理に距離を縮めようともせず、必要以上に関わらないようになります。

接客に長けた人なら、違うアプローチで相手の心を開き、店や料理に関心を向けることができるのかもしれません。

ただ、僕は自分の性格として、それが得意ではありません。

カウンターに立って分かったのは、僕が接客そのものを苦手としているわけではないということでした。

考え方や感性の波長が合う人とは、いくらでも話せます。もっと知ってもらいたいと思うし、その期待に応えたいという気持ちも強くなる。

反対に、そこが合わない人からは、大きなストレスを受けます。自分のモチベーションまで下がってしまうことがあります。

観音山のように料理とサービスを分業できれば、料理人は料理だけに集中できる。

現在のように一人ですべてを行えば、自分の考えで店全体をコントロールでき、お客様の声も直接聞ける。ただし、できることには限界があり、受け取る感情から逃れる場所もありません。

両方を経験したからこそ、それぞれの強さと難しさが分かります。

それでも、僕はカウンターをなくしたいとは思いません。

僕自身や僕の料理、この店の世界観に興味や関心を持ってくださる方と、この空間で同じ時間を過ごしたい。

料理について詳しい必要はありません。分からないことがあってもいい。

ただ、目の前で生まれる料理に、少しだけ興味を持ってほしい。

この文章を書いているのも、来店してからお互いの違いに気づくのではなく、この店がどのような場所なのかを、来ていただく前に伝えたいからなのだと思います。



いつか、畑から一緒に

もし、信頼できる料理人やサービスマンを自由に配置できるだけの資金と人材が揃ったら、僕はどうするか。

料理だけに専念するために、再びお客様から見えない厨房へ戻るのか。

答えは明確です。

それでも僕は、カウンターを残します。

ただし、今よりも数段広い、劇場型のカウンターにします。

バックヤードには、仕込みに集中できるもう一つの厨房を作る。

お客様から見える場所では、料理人が仕上げに集中する。料理人が自ら料理を運ぶのではなく、専門のサービスマンが最も良いタイミングで提供し、ワインはソムリエがお客様の好みと料理に合わせて提案する。

料理人は厨房の中央で、お客様の表情や食べる速度、声を感じながら、緊張感を持って一皿を仕上げていく。

それは、映える演出を見せるための劇場ではありません。

料理をおいしくするために必要な仕事を行い、その過程が自然にお客様から見える場所です。

観音山で知った、料理とサービスを専門家に分けることの強さ。

今の店で知った、料理人とお客様が直接向き合うことの価値。

その二つが一つになったレストランは、僕にとって理想的な形です。

ただ、それは「レストランとしての理想」であって、僕の料理人人生の終の形は、そのもう少し先にあります。

いつか、古民家で料理をしたいと思っています。

大きな鹿肉を塊のまま薪火で焼き、丸ごとの野菜を熾火でゆっくりと火入れする。

できることなら、そこにも料理が生まれる過程を見られるカウンターを作りたい。

けれど、古民家で実現したいのは、料理を眺めてもらうことだけではありません。

来てくださったお客様と一緒に畑へ入り、その日に使う野菜を収穫する。

古民家へ戻ったら、その食材に触れ、一緒に料理を作る。

そして最後に、同じテーブルを囲んで食べる。

料理人が作るところを、お客様が見る。

現在のカウンターでは、そこまでです。

古民家では、その境界をもう一歩越えて、お客様自身にも料理が生まれる時間の中へ入ってもらいたい。

畑にあったものが、手を動かすことで料理になり、自分たちの目の前に置かれる。

素材から一皿になるまでの時間を、最初から最後まで一緒に過ごす。

それが実現できたら、僕が長い間考え続けてきた「料理は、完成した一皿だけではない」という思いを、一番自然な形で伝えられる気がします。

今、僕はカウンターの内側から一皿を差し出します。

お客様は、その料理が生まれるまでを見ている。

そして僕は、その一皿を口にした瞬間のお客様の表情を見る。

見えるからこそ、伝わるものがある。

見えてしまうからこそ、苦しくなることもある。

それでも僕は、これからも料理が生まれる時間を、お客様と同じ場所で過ごしていきたいと思っています。



 
 
 

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